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<< KANJANI∞ LIVE TOUR 2010→2011 8UPPERS 大阪遠征日記 | main | 1/13 関ジャニ∞横山裕・村上信五のレコメンレポ >>
関ジャニ∞ヒストリー 〜僕らが生き残る道〜
JUGEMテーマ:ジャニーズ
関ジャニ∞の軌跡を私なりにまとめた「 関ジャニ∞ヒストリー〜僕らが生き残る道〜」にアンコールがあったので、去年のツアーのことなど少し加筆・修正してUPしますね!
横山くんではないけれど、私もなぜか昔のことを振り返って、懐かしく思い出すことが好きみたい。昔を知ることで、現在や未来がより深みのあるものに感じられるからです。

<必ず最初にお読みください>
※あくまで「私が見て感じた関ジャニ∞」です。私の主観が入っておりますので、そこをご理解いただいた上でお読みください。ご自分の確固たる「関ジャニ∞のアイドルイメージ」をお持ちの方、少しでも嫌な予感のする方は、絶対にお読みにならないでください。
発言などは一語一句正確ではないので、ニュアンスでお願いします。テレビ、コンサート・ラジオ・雑誌など、メディアを通して発信された情報を元に構成されています。また、神経質な方はご遠慮ください。


あの日、君は言ったね。

「僕は関ジャニ∞が大好きです。
僕以上に、このメンバーを好きになって下さい」

ヨコ。
君の言葉はいつだって、
心に響いてくるから不思議だ。

まっすぐで、わかりやすくて、はっきりした言葉。
回りくどい表現なんて無意味だとばかりに、
「関ジャニ∞が好き」と臆面もなく言い放つ君。
私たちはいつだって、深く胸を打たれる。

君が

どんなに関ジャニ∞が好きで、大切で、

絶対に失くせない宝物だと思ってるか。

切ないぐらいに、伝わってくるよ。

あなたに伝えたい。
私たちが、どれほど関ジャニ∞を好きかってことを。

あなた達がいれば、真っ暗な闇も怖くない。
あなた達と出会って、普通に過ぎてゆく毎日がまるっきり変わってしまった。
何もしなくても、たとえ歩いているだけでも、あなた達がいるというだけで、極めて重要なシーンのように思える。
一生会うこともない、雲の上の存在だと思うと、少し寂しいけれど。
「好き」って気持ちを、今日も遠くから伝え続けます。
関ジャニ∞に、そしてたくさんのファンに向けて。

メンバーも、
ファンも、
みんな関ジャニ∞が大好き。

それだけは、これからも絶対に変わらない真実。。。




関ジャニ∞のメンバーの成り立ちは、まずメンバーがジャニーズ入りした約15年前……1996年まで遡ることから始まる。

「お前は目立つことが好きやし、アホやけど割と男前やから送ってみろ!」というボディービルダーの父にすすめられて応募した、丸山隆平(13)。

15歳の誕生日に、母親に「5000円あげるから!」の一言につられてオーディションを受け、練習生として契約した、渋谷すばる(15)。

実はNSC(吉本総合芸能学院)に入りたかったものの、同級生からの薦めでオーディションを受けて入所した、村上信五(15)。当時、学校の女子達にはモテモテだったらしい。ちなみに、「ヒナ」というあだ名は、当時グラビアアイドルの雛形あきこに似ていたから付けられた。

同じ学校にジュニアがいたことをきっかけに、「うちの子のんが、かっこええ」と母親が応募した、横山候隆(15)。(本名はヨコヤマキミタカであるが、後にジャニーさんから「YOUはユーね」と言われ、芸名が横山裕に変わる。候補として、横山ヘンリーや横山ジョーなどもあった)

そして、翌97年のオーディションで、「あんたは、やったら何でもできる子や」と、姉が勝手に応募した安田章大(13)。勝手に応募されたこともあり、あまりやる気がなかったが、母親の「どうせ、あんたなんか受からんから行ってきたら?」の一言でやる気になり、オーディションを受け、晴れて入所となる。

同級生と誘い合って、試しに受けてみた錦戸亮(13)。当時はよくタッキーに似ていると言われていた。応募してから1年半後にオーディションの知らせが来て、正直それまで応募したことも忘れていたらしい。

V6の森田剛に憧れて、自ら履歴書を送りオーディションを受けた、大倉忠義(12)。オーディションでは最初、後ろの方で小さく踊っていたものの、突然「前に行け」と言われてセンターに出された。この時、大倉は「受かった」と手ごたえを感じた。
偶然にも、オーディションの時隣で踊っていたのは安田章大であった。

この時点で、すでに7人が関西ジャニーズジュニアとして集結し、「関ジャニ∞」の輪郭が出来つつあった。
おりしも東京では、97年ごろから滝沢秀明を筆頭にジュニアが活躍しはじめ、「ジャニーズジュニア 黄金期」が始まる寸前であった。

そんな中、渋谷ら関西ジュニアは97年〜98年にかけて、京都駅で行なわれた「KYO TO KYO」というジャニーズ舞台に出演。
初の大舞台である。とはいえ、ほぼ毎日・しかも長期間に渡る1日3回の公演は、肉体的・精神的に過酷を極めた。今でも時々、横山がコンサートのMCで「あの時は大変だった」とこぼしたりしていることからも、わかるだろう。早朝に出かけて、家に帰ってくるのはほぼ深夜。それが毎日である。当時、関西ジュニアにとって大きな仕事はなく、必然的に「KYO TO KYO」は生活のほぼ全てを費やすこととなった。
しかしジャニーズにおける「扱い」はというと……、東京ジュニアに比べて、決して良いものではなかった。舞台自体の功績は大きかったものの、今後の仕事に繋がるあてもなく、舞台が終わると殆どの関西ジュニアが辞めてしまった。そういう意味では、関ジャニ∞は「KYO TO KYOの生き残り」と言っても良いかもしれない。実際には、残ったメンバーでジャニーさんが「関西ジャニーズジュニア」を作ったにすぎないのだが……。

一方、東京では、破竹の勢いでジュニアが冠番組を持ち始めていた。
「8時だJ」「愛LOVE Jr」「SHO-NEN J」「J家の反乱」「京都ビストロジャーニー」などの他にも、ラジオのレギュラーや雑誌などメディア露出も目覚しく、「Jr名鑑」というJrだけの本もあったほど。デビュー前の少年達が、である。人数も膨れ上がり、最多で500人はいたのではと言われている(レッスン生も含め)。

その流れに乗って、比較的早い段階で関西から東京に呼ばれたのが、渋谷、横山、村上、錦戸の4名だ。

錦戸は、まるで天使のような可愛さと小悪魔的な魅力、そして素晴らしいボーイソプラノでファンを魅了し、横山は早くから高視聴率ドラマに抜擢された。村上もトークの面白さで仕事の幅を広げ、それぞれ西へ東へ大活躍!
特筆すべきは渋谷の活躍で、ミュージックステーションで披露した「愛してる愛してない」、これをきっかけに一躍人気に火が付き、「東の滝沢 西のすばる」とまで言われるまでに登りつめる。
続いて渋谷は、嵐の二宮とW主演でドラマ「危ない放課後」にも出演!人気を不動のものとする。キャッチフレーズは、「関西の爆弾 渋谷すばる」。
ヨコヒナすばる(3馬鹿トリオ)主演で、ドラマ「行け行けイケメン!」にも出演を果たした。
丸山、安田、大倉もそれぞれのキャラを生かして、まさに順風満帆。99年8月には、ZEPP OSAKAにて関西ジャニーズジュニアファーストライブを開催し、14,000人のファンが熱狂した。
この時の渋谷の目に、同級生たちが学生生活を楽しむ姿が、羨ましく映らなかったわけではない。しかし、「人とは違う、こんだけスゴイことをしてるんだ」。そう思うと、自分に自信を持つことができた。

永遠に続くと思われた、ジュニアブーム。
だが……終焉の鐘は、確実に、大きく鳴り響いていた。
その音は、彼らに聴こえたのか、それとも聴こえなかったのか。

それは突然、残酷な形で彼らの目の前に現れた。
黄金期のメンバーから、嵐がデビューしたのだ。
これをきっかけに、ゴールデンにまで進出したジュニア番組も次々と終わる。20歳を越えて「ジュニア」であることが、まだ恥ずかしいとされた時代。学業に専念する者、解雇になる者、将来を考えて自ら辞めていく者……、またひとり、またひとりとジャニーズを去っていった。自分から「辞められた」ジュニアはまだいい方だ。大抵は呼ばれなくなり、お払い箱になっていった。
公の場でファンに挨拶をして辞めることができたジュニアは、小原裕貴ただ一人だった。

こうして、だんだんと仕事がなくなっていく関西ジャニーズジュニアたち。

渋谷は、悩んでいた。
自分は、果たしてこのままでいいのだろうか。アイドルという仕事を、このままやっていけるのか?考えても考えても、答えはでるはずもなく……。

この頃、村上はエキスポランドの急流すべりでもぎり、横山は建築現場でアルバイトをするようになる。大倉はひと目につかないようにと、朝の新聞配達や顧客名簿打ちのアルバイトなどをやっていた。
安田はアメリカ村で洋服の売り娘、丸山は配送業。渋谷は引越しのアルバイトに行ってみるも、「体が小さいから」という理由で、¥2000渡されて帰されたそう(悲)。
暇なのは錦戸も同じで、アメリカ村をずっとブラブラしたり、友達の店の棚卸を手伝ったりしていた。

なくなった仕事……。

それまで当たり前にあったものが消え去ったショックは、大きかった。

こうして関西ジャニーズジュニアが「冬の時代」に入る頃、大阪郊外の羽曳野市にて、プロ野球選手になることが夢だった少年が、「500円あげるから」という母の言葉につられてオーディションを受ける。99年5月29日、関西ジャニーズJr.のレッスン生として入所。
それが、内 博貴である。

内の登場をカンフル剤として、関西ジャニーズジュニアの時間は再び動き始める。
楽器が得意な丸山をベース、安田をギター、内をボーカルにすえて、バンド「V.WEST」が本格的に始動!!リーダーはこの頃は男らしい短髪が光る安田が担当した。丸山は本当はギターをやりたかったが、そんな事を言ったら即座に首になりそうな雰囲気であったので、あきらめてベースへ。
この展開に、一番とまどっていたのが内だ。みんなもボーカルがやりたいのに、関西ジュニアに最後に入った自分がボーカルに抜擢されるなんて……。自分も歌いたいのはあるけれど、正直やりづらいと感じていた。
まず、雰囲気になじめない。気軽に話すことができない。ヤスでさえ、当時の内の目にはとても怖く映った。彼曰く、ヤスは「なんだかゴツゴツしていて、ボクサーみたいな鋭さがあった」という。
まわりはまわりで、内に対してどう接してよいのか、考えあぐねていた。なぜ、彼は一人で行動しようとするんだろう?
が、そこは社交性のある丸山がきっかけになり、徐々に打ち解けていったという。内にとっても、他のメンバーにとっても、試練の時であった。

2001年春からは、関西テレビで今の「ジャニ勉!」につながる番組「週刊V.WEST」が放送開始。
基本的にジュニアからはV.WESTのメンバーのみの出演だったため、三馬鹿や錦戸の出番はなかった。たまにゲストで顔を出す程度で、先輩である彼らの存在は薄かった。
とはいえ、丸山はあまりの4人(3馬鹿+錦戸)のトークの面白さに、「この人達についていこう!!ついて行ったら、(芸能人生が)どうにかなるんじゃないか?」と密かに思っていたらしい。彼なりの処世術である。

しかし芸能界は非情なもので、「今はもう内の時代。ヨコヒナすばる亮は、内の後ろで2〜3曲踊っていたらいい」と言われたりもした。
この「週刊V.WEST」では、安田がラートで才能を発揮し、コーチから選手としてスカウトされたり、マルが京都案内の収録で舞妓姿になったりと、なかなかのオモシロぶりで好評であった。
内は、視聴者にプレゼントのパネルを届ける企画で、天然可愛さ爆発!飛行機に乗ろうとして、カバンに入ってたドロップ缶が空港の金属探知機に引っかかったたのだ。その時のエピソードは、今でも語り草である。

ジュニア入りと同時に超エリート街道をひた走ってきた錦戸も、この頃伸び悩んでいた。テレビで活躍している仲間を見て、何もしていない自分に憤りを感じる。

くやしい……。

氷河期ながらもヨコは舞台「東京悲恋」、ドラマ「反乱のボヤージュ」に出演。村上は藤井隆さんと番組をつとめ、個人仕事を次につなげようと孤軍奮闘する日々。1週間のうちに、レコメン1本しか仕事がないこともあった。

その頃、渋谷はまだまだ苦悩の日々を送っていた。
東京に引っ越して、1人の時間が持てるようになったものの……ふとよぎる、不安な思い。
『オレ、何してるんやろ』
このまま続けて行って、CDデビューできる保障はない。駄目になった時に、俺はどうして生きていくんだろう……仕事をするって言っても、やりたい仕事もないし。ということを考えだしたら、もう止まらなかった。だんだんと仕事をするのが嫌になってきて、気持ちも入らなくなってしまう。
だんだんと内に引きこもっていく渋谷。
「真夜中の少年達」も、「ピカイチ」も降ろされた。
もう、自分には何もない……。

「あのなぁ、なんか怖いねん。普通の人が怖い」

この頃、村上・横山のラジオ番組に、「すばるくんはジュニアを辞めたんですか?」というハガキが届いた。2人はすぐに、スタジオから渋谷に電話をした。「がんばってるか?」という2人の問いかけに、渋谷はこう答えた。

「がんばりたいけど、がんばる場所がないねん。がんばれないねん」

相談する相手もなく、一人で悩む日々……。
それでも、歌だけは忘れなかった。お風呂で歌うのが、毎日の日課。
スタジオとコンビ二とマンションの往復だけを繰り返す日々が、3年続いた。
「今やってる仕事、もうええわ!」と思う時も度々あったという。

すっかりメディアから姿を消し、ファンが渋谷の消息確認ができるのは、いよいよ「ザ・少年倶楽部」のゲスト出演時ぐらいになった。渋谷はロックに興味を持ち始め、FIVEと一緒にセッションするうちに、いつかこのメンバーでライブをやれたらと思うようになる。(実際、約10年後に「flat Five Flowers」としてユニットを組むことになった)

当時、完璧人間恐怖に陥っていた渋谷が、精神的に村上に依存していることを象徴するやりとりが、Wink up2000.12月号に残されている。
すば「なあ、おまえ、オレのこと好き?」
ヒナ「ああ、好きや〜。いきなりやな(笑)」
すば「好きやろ。でもな、おまえがオレのこと好きって思ってる以上に、オレはおまえのこと好きやと思う」
ヒナ「ああ……。おまえ、なんか今すごい告白してんなあ(笑)。でもそう言われてみれば、おまえにすごい好かれてる気がする」
すば「やろやろやろ?だから……もっと来いよ(笑)。でもおまえの性格からいうと、おまえはみんなと同じくらい仲良くなれんねん。が!しかし!オレはおまえしかおらん!な?」
ヒナ「オレと特別な仲になりたいんや?」
すば「そう!でもこの激白を、変な意味でとらえんといてな(笑)。オレは女の子が大好きやから(笑)」
この後、2人はしばらく気まずかったらしい(笑)。

そんなある日、たまたま行った大好きなRIZEのライブ。音楽に身をゆだねながら、渋谷はふとこう思った。
「歌がうまいとか下手じゃなくて、好きなことをやってる……。もしかして、オレも、これでええんかな。今までは、ファンレターとかで歌や舞台とかで、頑張ってる姿に励まされたとか書いてあって、それをもらっても自分は普通にしてることやし、わからなかったけど……。
だけど、今自分がそうなって、RIZEに出会って、そういうんが初めて分かった。俺もこのままでいいかなって。だから、こういう仕事してるんは凄いことだなって思うし……やっぱ、オレにとってやりがいがある仕事なんや……」
一度は仕事を辞めようと決意したけれど……やっぱりもう一度、スポットライトの下で歓声を受けたい。自分の歌を聴いてもらいたい。
母からもらった言葉、「何事も続けると言う事」が心の中でこだました。

渋谷「一秒前も、十年前も過去は過去。いつまでも過去に縛られていたら前に進めないし辛いだけやし。これからの自分にとって嬉しい事楽しい事がいっぱい待ってる。これからの俺の時間を大切に、生きようと思っています」

帰ろう。
故郷の、大阪の地に。

久しぶりに帰った故郷は、温かかった。
家族がいたのも大きかったし、同じように村上や横山が悩んでいたのも、何か安心したものがあった。もう一回がんばってみよう。渋谷に、かつての「やる気」が戻ってきた。

渋谷「一度は諦めようと思った夢やけど、どん底まで落ちた俺を、それまでと同じように支え続けてくれたたくさんの人達がおったから、その人達のためにもう一度はい上がろうと思ったんや」

「自分から逃げてた、自分に負けてた。そんな自分が凄く嫌いだった。分かってたんだけど、このままじゃ何も変わらない。勇気を出して踏み出せば、何か変わるかも。今だから言える。あの時逃げてた自分を捨て、全部を受け止めて戦ったから今の自分がいる、少し大きくなった気がする」

「若い頃は、人傷付けても 自分の体と心傷付けても 平気でかっこいいと思ってた。悪いことしても、全部人のせいにして。でもな。自分がやったことは、いつか必ず自分に返ってくる。泣くヒマがあるなら、笑ったったらええねん!!
どんなにくじけそうになっても、自分を見失いそうになっても、
こいつらと一緒やから頑張れる。こいつらだけは見失わへん。
一秒前も、十年前も、過去は過去。
いつまでも過去に縛られてたら、前に進まないし辛いだけやし。
これからの自分にもっとうれしい、楽しいことがいっぱい待ってる。
これからの俺の時間を大切に、生きようと思います」


一方、V.WESTのメンバーも経験を積むことで大きく成長していた。
毎週のロケや、ファーストライブで確実に!安田は単独で昼ドラ「ショコラ」に出演。念願だったドラマ出演を果たすも、悲しいかなあまりの駄作っぷりにブレイクの足がかりにならず。しかしこの時できた人脈は、今でも安田の人生の大きな糧となっている。

3馬鹿と錦戸には、立ち止まって考えるために、
V.WESTの3人には経験値をあげるために、「冬の時代」は必要な一年間だったのかもしれない。

そして2002年。またもや、運命の鐘は鳴り響いた。
「ANOTHER」の舞台が決まったのだ。この舞台なくして、関西ジャニーズジュニアの復活はなかったといえよう。もしこの舞台がなかったら、今の関ジャニ∞はなかったと、はっきり言い切ることができる。それくらい、関ジャニにとって大きな転機であった。

ジャニー「ユーたち、このままじゃヤバいよ!!夏に松竹座で舞台やるから!昔スマップもやった舞台なんだけどね。でっかい花火、あげちゃいなよ!」
ヒナ「この公演が成功しなかったら、次はない」
渋谷「めちゃめちゃ不安や……。でも、やるしかない」
渋谷には、「ロックをやりたい」という夢はあったものの、それを披露する場が今はない。今はひとまず封印して、できることをやってみよう。
安田、丸山、内にとっては、怖い先輩との共演だったが、とにかく必死で舞台にかじりついていった。内に至っては、すばる・横山のあまりの怖さに最初はなかなか話すこともできず、「うわ、最悪や〜。なんでこんなグループ、社長は作ったんや……」と心の中で思ったこともあったとか(笑)。

最初は人間関係、先輩後輩関係もうまくいかず、それ以前に自分自身が生き残れるかの瀬戸際であった彼ら。全員の必死のがんばりの甲斐もあり、最初はチケットが余って無料配布もあったものの、評判が評判を呼び、舞台は好調のうちに幕となった。
V.WESTだけがレギュラーだった「週刊V.WEST」は、新たに渋谷、横山、村上、錦戸、内、安田、丸山の7人体制となって「J3 KANSAI」という番組に生まれ変わった。
すでにこの時、三馬鹿は22歳、デビューにはギリギリの歳である。

そんなある日、社長が言った。
「あの番組、関西テレビで大阪8チャンネルだから、ユーたちもメンバー増やして8人にするよ。それで正式なユニットにするから」
これを聞いた安田と丸山は、即座に社長に直訴した。
ヤス「僕、考えてることがあります。大倉はリズム感もあって、踊りもうまいから、大倉にドラムをがんばってもらいたい」
社長「できるの?そんなの?二回目のライブに間に合わなかったら、YOUたち、知らないからね。YOUが全部責任とるんだよ」
ジャニーさんはこう言って、一方的に電話を切った。

こうして8人目のエイトメンバーとして白羽の矢が立ったのは、「ANOTHER」で“島の男”役を演じた、大倉忠義だった。
大倉「はじめは、V.WESTでドラムやらないかって言われたんです。実はV.WESTができるもっと前にも声かけられたんやけど、もともと踊りたくて入ったジュニアやったから。その時は、楽器って枠に縛られるのが嫌で断ってしまったんです。で、そのことずっと後悔してて。今度は絶対断っちゃあかん。これが最後のチャンスかもしれんって思って、ドラムの猛練習をはじめたんです。ドラムに出会って、エイトに出会えて、みんなに出会えて、本当によかった……」

大倉は、同期や後輩が次々と売れていく中、自分はどうすることもできないもどかしさ、惨めな気持ちや焦りに苛まれていた。しかし、「一人でスポットライトを浴びるまではやめない」と、これまで歯をくいしばってがんばってきた。
冬の時代、仕事も無くなって、たまに雑誌の取材があれば「久しぶり〜」と言われ……。「まだ居たのか」って俺の事、思ってるんやろうなって疑ったりもしてしまったことも。小学生の弟に「兄ちゃん、もう無理やろ」と言われた時は、とてつもなくショックだったらしい。
それでも腐ることなく、「絶対見返したる!」という気持ちを常に持っていたのが、やっと認められる時が来たのだ。思春期の彼にとって、自分の努力ではないところで人に評価されたり比べられたりするのは、身を引き裂かれる思いだっただろう。「背が高いから」、それだけの理由で端でダンスをさせられることが、長く続いた。
でも彼は、あきらめなかった。

大倉「努力したからって、成功するとは限らない。でも成功した人は、みんな努力してる」

大倉は、ドラムの練習を必死にこなし、「DO you agree?」を一曲なんとか覚えて、それをジャニーさんが観に来てくれた。そこで、「大倉すごいよ〜!!」ということになり、ついに関ジャニ∞に加入することが決定。
大倉「安田・丸山、あとすばるくんも、『オマエがんばれよ、入れるようになったら、一緒にがんばろうな』って言ってくれました」

2002年12月18日放送分の「J3 KANSAI」にて、ついに関ジャニ∞誕生!!
その年の松竹座で、関ジャニ∞としてはじめてのクリスマスコンサート開催した。

渋谷「前を向いてたら強い風が吹いてきて、上を見上げたら、冷たい雨が降ってきた。
居場所なんてどこにもないって心を閉ざした俺に、お前らはもう一度、本当の居場所をくれた。何よりもあたたかい、かけがえのない『今』をくれたんや」

ヒナ「僕らはまだまだ進むべき道を見つけたわけやない。でも、これからもこのメンバーで進んで行く事は確かやわ。この人達とやったら不可能な事も絶対に可能になる。俺は、この人達と一緒に歩む道やったら悔いはない。それが俺の幸せやから」


メンバーもファンも、「デビュー」という夢にまい進する日々。

そんな矢先……衝撃が走った。

「ジャニーズの新ユニット NEWS誕生!」

関ジャニ∞からは、錦戸と内が加入ということが発表された。
これは、エイトにとってもファンにとっても、青天の霹靂であった。
寝耳に水とはこのこと。メンバーもなんとなく新ユニットができるとは聞いていたが、はっきりしたことは誰も知らなかった。
いったい、関ジャニ∞はどうなるんや。
CDデビューもしていないユニットから、メンバーが引き抜かれてCDデビュー。それは、今までであれば、関ジャニ∞の消滅を意味していた。当時、ジャニーズにおいてグループのかけもちをする前例は存在しなかった。

この8人では、夢をつかめないのか……!?
「どうしよう、もう終わりや」
重苦しい空気が、メンバーの間に流れた。
メンバーもファンも、一気にどん底に落とされた。

とまどっていたのは、錦戸と内も同じだった。いきなり東京に行けといわれて、わけも分からず……。実はこの時、NEWSメンバーに選ばれた東京ジュニアたちにも激震が走ったのだが、それはまた次のお話。NEWSにはNEWSの苦しみや葛藤があったことは、言うまでもない。

とにもかくにも、関西では錦戸と内の動向に注目が集まった。
伝わって来た情報は……。
2人がNEWSと関ジャニ∞、両方の活動をしていくということ。
とりあえずは。でも、これからどうなって行くんだろう?不安は消えない。

錦戸と内も、「みんなにどんな顔して会ったらいいのだろう」と、怖くなっていた。とにかく自分たちは、どっちもがんばるしかない。
錦戸は、NEWSデビューの話を聞いた時、正直嬉しかったという。自分は必要とされているんだ、と思えたからだ。
でも舞台の最中、横にいた横山たちを見てふと思った。もうこの人たちとは、仕事できなくなるんかな?そう思ったら……何か複雑な気分になってしまった。素直に喜べなくなった。

ヒナ「例えば自分がエイトから離れたら、生きていける自信があらへん。そう考えると涙が出てくるんや。それを錦戸に言うたら、即あいつ泣いてん」
「村上君が真顔で話始めた時、パニクって『なにかあったん?解散するん?ほんま?』って言ってるうちに、涙が出てきちゃってとまらへんくて。あの時メンバーはみんな『そんな事ないで大丈夫』って慰めてくれててんけど、すばる君だけや。隅で爆笑してんねん!『亮バカや!』って」

横山は、「どうせオレたちは、デビューできないんや」というネガティブな思いにかられながらも、2人を応援することを決意。それは、他のメンバーの気持ちも同じだった。
内・錦戸がNewsの仕事の時には、「がんばれ」とメールを送ったり、村上は駅まで迎えに来たこともあった。錦戸の携帯に「今どこや?」とメールが入り、「新幹線の中」と返事をすると、「ほな、駅まで行くわ」という返信。これには錦戸も笑ってしまったという。
当時を振り返って、錦戸は言う。
「うまく言えないけど、よく出来てるグループなんです(笑)」

NEWSの仕事で東京にいる時には、錦戸は無性にメンバーの声が聴きたくなった。大抵それを思うタイミングは内も同じで、2人で「かけてみる?」と相談して電話をかける。するとだいたい、渋谷・横山・村上が出る。この3人はとても優しい話し方をしてくれたそうだ。いつもと反対で(笑)。まるで錦戸らが寂しがる気持ちを、わかっているみたいに。

横山「こうやって内と錦戸が、戻って来たらいつも嬉しいって口に出して言ってくれるし、笑ってくれるから素直に応援できる。大倉も何も意見ゆわへんかったのに、言ってくれるようになったし、俺が元気ない時も、ヤスが声かけてくれた。みんなで疲れて空気悪くなった時もあったけど、マルが居てくれてよかった。この3年間で一皮むけたと思うし、これからはもう壁にぶつからんとつっぱしって行けると思う」

「エイトを辞める時は、この世界を辞める時。僕は、関ジャニ∞にいられなかったら、ジャニーズ事務所にいる意味さえないと思ってる。本気で思ってる。NEWSは高校からの友達。関ジャニ∞は幼馴染。オレ、関ジャニ∞大好きだから頑張るよ」

デビューしたNEWSの影響もあり、関ジャニ∞のコンサートも大盛況になっていく。松竹座でのクリスマスパーティでは、NEWSのデビュー曲をみんなで面白く歌ったり、「NEWSの2人も応援してください!」とお願いしたり。この時の横山の「NEWSネタ」には、どれだけの人が救われただろう。

その夏の舞台「サマーストーム」の打ち上げでは、∞メンバーだけでなく関西ジャニーズジュニア全員、泣きながら本音をぶちまけあった。
これまでは濁ってた8人の関係が、きれいに澄んで、透明になった瞬間であった。泣いて泣いて、抱き合った後は……すぐには離れがたく、「もう少し、一緒におろうや」と、その後3日間一緒に過ごす。カラオケに行ったり、ご飯をたべたり。それは、まるで甘い蜜月のようだったろう。ずっと同じ服だったので、最後の方はヨレヨレだったらしい。激しく暑苦しい夏の思い出……(笑)。

そして……。

2004年8月25日、シングル『浪花いろは節』でついにデビュー!!
長年夢見ていたことが、ついに……!!
これを機に、「関ジャニ8」の「8」のフォントを「無限の可能性を」という思いを込めて「∞(無限大)」へと変換し、「関ジャニ∞」とグループ名を改める。NEWSがデビューして、実に1年後のことであった。メンバーにとっても、ファンにとっても、この1年はあまりにも長い1年だったに違いない。

同年9月22日、シングル「浪花いろは節」を日本全国でも発売し、オリコンの総合チャート及び演歌チャートで1位を記録。
すばる「聴いた瞬間に、僕らと分かる個性が欲しい。演歌でデビューというのは僕は嫌じゃなかったです。むしろ、せっかくデビューできるんだったら、王道のジャニーズみたいなのは嫌やった。前例がない演歌路線だったらインパクトはあるし、でも曲を聴いてみたら、ラップも入っていたりとか、いわゆる正統な演歌じゃない。歌い手として新たなジャンルに挑戦できると思って嬉しかった」
ヨコに至っては、デビューさえできればどんな曲でもよかったらしい。それくらい、切羽詰っていた。実際、ヨコの声はデビューシングルには殆ど入っていない。収録現場でまず言われたのは、「手拍子してみて」だった。「そんなの、オレでなくてもエエやん」一瞬そう思った。でも、それでもいい!!デビューしたらこっちのモンや!
PVもなく、テイチクの屋上で旗を持って立つだけのプロモーション。嵐のハワイ豪華客船デビューとは、全然違った。でもいい。これが関ジャニらしさなんだから。ここから昇っていけば、いいんだから……。
デビュー時の関ジャニ∞の構成は、内と錦戸がセンターのイケメンツートップ、脇を固める渋谷・横山・村上(3馬鹿)、その後ろに控える安田・丸山・大倉(楽器隊or関ジミ3)といった売り方であった。

2004年は東京フォーラムでコンサート、ミニアルバムもリリース、2005年にはセカンドシングル「大阪レイニーブルース」発売!DVDも発売され、7月には大阪城ホールでサマースペシャル前夜祭が決定した。

まるで、終わらない祭りが続いているみたいだった。

何もかもうまくいく。
あとは駆けて行くだけ……。
そんな時に、それは起こった。


2005年7月16日、内が芸能活動の無期限延期となる。当時18歳。
大阪城ホールで、関ジャニ∞の初コンサートが開かれる直前の、暑い日だった。

全てのメディアから、一斉に内博貴の名前が消えた。
まるで、最初からいなかったかのように。
出演中だったドラマ「がんばっていきまっしょい」は、内の出演部分のみを神編集でカットして放映、3話から田口淳之介が役を引き継いだ。編集のできないバラエティ番組では、お詫びのテロップが流れた。NEWSのカレンダーも全て撮り直しされ、新しく作りなおされた。
めったにブレのない山下智久の日記には、初めて「やりきれない」というニュアンスの言葉がUPされた……。内博貴の名前が轟くのは、これからだったのに……。どうしてどうしてどうして。
ネットでテレビで、センセーショナルに内のニュースが取り上げられる日々。

もうやめて……。

ファンの心はズタズタだった。何が本当で、何がウソなのか。私たちができるのは、静観することだけなんだろうか……。
心の切り替えができないまま、どんどん目の前で「内がいたこと」がなかったことにされていくショック。芸能界はそういう場所だったと、改めて突きつけられる現実と、怖さ。

ぽっかり空いた、心のスキマ。

それでも。

立ち止まることはできない。
残されたメンバーにできること、それは……。

その2週間後に、大阪城ホールで行なわれたサマースペシャル「前夜祭」は、DVD「Spirits」となって残されている。
何も知らずに見れば、あんなことがあった直後とは思えないだろう。たくさんの笑顔とはじけるような元気さに満ち溢れている。MCでは笑転げ、もちろん最後はしっとりと。いつもの関ジャニ∞が、そこにはいた。
やっとつかんだ、大阪城ホールでのコンサート。メンバーもファンも、嬉しくないわけがない。ずっと夢見ていた場所なのだ。ただひとつ残念なのは……あの子がいないこと。

「次やる時は、大阪城ホールに『完全色』なキレイな虹を咲かせます!楽しみにしててください!」
「次は松竹だあ!関ジャニ8の大倉忠義より!」

3年前のアナザーでは、1000席の松竹座の客席すら平日は半分ほどしか埋められなかった彼ら。それが3年経った今、城ホールのチケットさえレアチケにしてしまうなんて……ファンにとっては、感慨深かっただろう。メンバーの夢がまたひとつ、叶う瞬間だった。
こうして、前夜祭の2日間は大盛況のうちに幕を閉じた。

(錦戸亮)
「一緒にジャニーズ辞めるか?って言ったこともある。
内が帰ってきた時は、抱きしめてやりたい。
大丈夫、今日は昨日に変わってる」

(渋谷すばる)
「内へ
『待ってる』なんて甘いこと俺らは言わへんで。
だから全速力で追い掛けてこい。
追いついたらその時は、笑顔で迎えたる。
もう誰も責めへんから……はよ走りだせや。
俺らは8人で頂点取るって言うたやんか」

(大倉忠義)
「どんなことがあっても 明日という光が射す。
どんなことがあっても 時間という薬がある。
誰にでも公平にある希望。
同じ時代に生まれ、出会えた奇跡。
その奇跡信じ、歩き続けたい。
歩き続けてほしい。場所は違えども」

(村上 信五)
「人間ね 人生ね 失敗せずに生きられる人なんて、いないんですよ」

この頃の内の様子は、後に発売された雑誌で吐露されている。
「(謹慎中は)ただただ落ち込んで、泣いて、ほんとぐちゃぐちゃでした。そんな中、大きかったのが仲間の存在。
NEWSのメンバーもエイトのメンバーも、みんなが電話やメールをくれて気にかけてくれました。
亮ちゃんとは、ほんまにずっと兄弟みたいに一緒にいた。それが僕の過ちによってあんなことになってしまって2人で泣いてしまったこともあったし、僕が弱音を吐いてしまったことも1回や2回じゃない。そのたびに励まして支えてくれたんです。
事務所に入って、トントン拍子でデビューが決まって、苦労知らずやったんやと思います。
疲れたときには『疲れた』って文句を言っちゃうこともあった。そんな未熟だった僕の頭を、誰かがガツンと殴ってくれたんじゃないかな。周りの人への感謝の気持ちや、仕事の大切さを気付かせてくれるきっかけをくれた気がします」

2006年は、関ジャニ∞にとって、まさにコンサートと舞台づくしの1年となる。
1月、再び東京での「Dream Boys」が再演される。
続いて、初の全国ツアー「FTONツアー」が、東京、大阪、名古屋にて開催される(DVD「Heat up!」に収録)。大阪公演は、驚きの一日3回公演×3日間のハードさであったが、無事に千秋楽を迎えた。驚くほどの大盛況ぶりであった。
その夏、松竹座での最後の舞台「Another’s “ANOTHER」が開催されるも、もちろん満員御礼にてチケットは入手困難を極め、ファンは嬉しい悲鳴をあげることに。

舞台後はすぐに、渋谷と大倉のみのライブ(すば倉コン)が東京で行われた。バンドにはFIVEを迎え、エイトとはまた違う素晴らしいステージに仕上がった。
渋谷は、このすば倉コンで大きな「何か」を手にいれたようだ。もやもやがふっきれ、大きな自信を取り戻したように感じられた。はっきりと、以前と違う「渋谷すばる」がそこにいるのがわかった。大倉にとっても、自分の新しい魅せ方を手に入れる、大きなステップになったことだろう。
すば倉コンのさなかではあったが、9月〜10月は関ジャニ∞として全国1st tour、さらに12月末にかけて全国ツアー第2弾が行なわれる。12月は松竹座にて、丸山・村上・安田のソロライブも行なわれた。
錦戸と大倉が関ジャニ∞のツートップとなり、雑誌のグラビアなどを飾り始めた。

そうして、怒涛の日々の末迎えた2006年12月 横浜アリーナでのツアーラストは、メンバー全員、まるでタガが外れたような号泣ぶりであった。
ファンがもっとも胸打たれたのは、きっとアンコールの時であろう。
ヨコ「みんな、ありがとうーーー!!イヤ、ヤバイ!!ホンマ、ヤバイ!!」
ヒナ「ありがとうーーー!!来たねえ、ラストが」
ヨコ「これで終わったら、エイトじゃないよね? いっちゃう?」
メンバー全員、深く頷く。
ヒナ「……すばる、ええか?」
この言葉を受けて、渋谷、無言の時を作って場内を静かにさせ……すーっと息をすったかと思うと……。

すば「今日も 誰かがめぐりあう……」

会場が、息を飲むのがわかった。
このツアーで、ずっと歌っていなかった「大阪ロマネスク」だったからだ。しかも、曲ナシの、渋谷ひとりのアカペラであった。
静まり返る場内に、ゆっくりと、渋谷の美声が響き渡る……。

すば「はるか はるか 西の街」

かみしめるように、渋谷が歌う。一呼吸、一呼吸、宝物のように。
アカペラのまま、ここから自然とファンも一緒に歌いだした。「今」を惜しむかのように、ゆっくりと……。

エイト&ファン「恋をするなら 御堂筋から 始まるのさ 雅なる ストーリー……」

エイトとファンだけの声が、こだまする場内。
みんな涙が止まらなかった。ここから、演奏が流れ始めた。
数年に一度、神がかったコンサートがあるという。それが、きっとこの回だろう。
なんとも言葉にできないすさまじい感動が、その場に居合わせた人々の全てを貫いた瞬間だった。まばゆいライトが彼らを照らして、それが金色のベールのように見えた。

感動の「大阪ロマネスク」を歌い終わったあと、メンバーによる挨拶が行なわれた。もちろんこの時も全員、泣いていた。特に一番涙していたのは、大倉かもしれない。震える声が、彼の気持ちを現わしている。
大倉「すごく、幸せです。え〜……あの……生きていれば、いろんなこと……が……あ、あると……(ここで涙がこらえきれず、声も涙声で、言葉に詰まる)……。思いますけど……(涙がぽろぽろ)。」
涙を拭いて、息を吸って、最後はちゃんとしっかりと挨拶。
大倉「いろんなことがあるけれど、がんばっていきましょう(真っ赤な目で微笑む)!!」


この年のジャニーズ・カウントダウンコンサートにて、一年間活動休止をしていたNEWSが復活する。

その後も、関ジャニ∞の快進撃は止まらない!
2007年4月11日、『ズッコケ男道』をリリース。
5月〜9月末にかけて、47都道府県を全て回る全国ツアー(全113公演)を行い、67万人を動員した。この47都道府県コンでファンになったという人も、少なくない。

この時、東京ドームで行なわれたコンサートのダブルアンコールで、驚くことが起こった。
なんと、客席にいた内がメンバーに花道にひっぱりあげられたのだ!「すいません。なんか〜」と恥ずかしそうに頭を下げ、メンバーに促され8人で外周を回る姿は、以前と変わらぬ内だった。内がメディアから姿を消して、実に2年の月日が流れていた。
ヨコ「なあ。俺らどうやった?」
 「すっごい格好良かったです!」
ヨコ「そういうAB型なとこも、変わっとらんな〜!」
ドームいっぱいに、大歓声が広がった。
この時のダブルアンコールの様子は、47都道府県ツアーの写真集に収録され、永遠に残ることとなった。

その後の関ジャニ∞の活躍は、言うまでもない。
2008年には、日本テレビ系列『Touch! eco 2008 ECOウィークスペシャル』のエコ大使に任命され、番組パーソナリティーを務めた。2007年12月発売のDVD「47」も2008年度オリコン年間ランキングのミュージックDVD部門において1位を獲得。

そしてこの年の12月21日、ついに内が横浜アリーナでの復活ライブを行なった。彼にとって、約3年半ぶりのライブ。謹慎中に書き下ろした2曲など、計25曲を熱唱し、終盤には感極まって涙が止まらなかった。
 「グループに戻るとかも、意識していない。これから突っ走っていくだけ。ついてきてほしい」
そう言った内の瞳には、涙だけではなく、大きな希望が溢れていた。
その後も内は地道に活動を続け、ドラマ「ヤマトナデシコ七変化」ではクールな役どころを好演。2010年4月、舞台「ガイズ&ドールズ」で主演を務め、今では舞台「SHOCK」のライバル役にまで登りつめた。例年のカウントダウンコンサートにも出演し、立派にジャニーズの顔として活躍している。



季節は、足早に去っていく。
確実に、少年たちは青年となり、未来への道を歩いていく。
はるか向こうの、栄光のステージへ……。

関ジャニ∞は、ついにグループとして初となる、単独でのカウントダウンライブを京セラドーム大阪にて開催、大成功をおさめることとなった(DVD「COUNTDOWN LIVE 2009-2010 in 京セラドーム大阪」に収録)。
2010年4月からは、グループ初の全国ネット冠番組「冒険JAPAN! 関ジャニ∞MAP」もスタートした。メンバーも連続ドラマや映画主演や、ソロコンサートに舞台にと、休む暇なく芸能界を席捲している。関ジャニ∞が演じるストーリーにアルバム楽曲が散りばめられた「8UPPERS FEATURE MUSIC FILM」がTOHO系の映画館で1日だけ上演されたのは、記憶に新しいところだろう。これまでの「大阪売り」は大切にしながら、スタイリッシュになっていく関ジャニ∞が手にとれる。
2011年の春には、映画「クレヨンしんちゃん」の主題歌も控えている。


簡単に歩んで来た道ではなかった。

でも、だからこそ、かけがえのない「今」がある。

強い光は、強い陰を落とす。特に、芸能界という華々しい世界では……。
アイドルであっても、時にはつまづき、誰かに嫉妬し、「もうだめだ」と思ったり、ひたむきにがんばる時がある。
人間と人間のかけがえのない絆、人はひとりでは生きられないということを痛感し、後悔することもある。時には誰かを頼ってもいい。次は、自分が支えてあげたらいいのだからー。
彼らはそれらの大切なことを、全身全霊を持って伝えてくれるのではないだろうか。ただの可愛い、笑ってるだけのアイドルじゃない。そういう人間くさいところもまた、彼らの魅力なのだ。


メンバーに質問してみた。
「関ジャニ∞は、あなたにとって何ですか?」

ヤス「体の一部やね」
そう言って、ヤスは胸を指さした。

大倉「関ジャニ∞は生きがいとしか言いようがない」

「お墓に入るまで付き合っていたい関係」

すば「オレら一言で言ったら、最強です!!」

ヨコ「ひたすら濃くて、純粋。ウソが全然ない存在」

マル「生まれてきて良かったって思える場所」

ヒナ「俺らは、∞がいつまでも笑ってるグループでいたい。
たとえ俺らが辛くなっても、バラバラになっても、ずっと一緒にいたい。
そこまで大切な存在」

2010年の8UPPERSツアーオーラスの大阪で、ヨコが言った言葉。
ヨコ「つらい時も、楽しい時も、僕にはメンバーがいます。
本当に素敵なメンバーです。
個人個人のメンバーが、グループを大きくしてやろうって思ってる。
そういうことが、伝わるツアーでした。口癖は『絶対でっかくなろう!』ってことです。夢じゃなく、確信めいてます!これからも……僕らに一生付いてきてください!!」

先のことは分からない。
目の前には、淋しいほどの無限が広がっている。限りある人生の中で、その無限に目を閉じることもあるだろう。
しかし、先に進むしかない。
その先に、光があると信じて……。


Waiting for you

キミを
待っている、
未来。

関ジャニ∞とファンが作り出す、新しいストーリー。


この物語の最後に、「Heavenly Psycho」について記しておきたいと思う。
この曲は、エイトの冬の時代を歌った曲である。
是非もう一度、手元の歌詞カードを見て欲しい。
そしてもう一度、聴いて欲しい。
関ジャニ∞が、アイドルでありながら、なぜあえて自分達のことを隠さずに伝えてくれているのかが、よく現れている曲だと思う。
希望を捨てない限り、人はどんな事も出来る。そのことを、彼らは自分達の生き方を持って、ファンに伝えようとしているのではないだろうか。(Heavenly Psycho……崇高な精神)




みなさん、
隣の人と、
手をつないでください。


俺たちが、


最高で、


最強のーーー


関ジャニ∞!!!





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| 関ジャニ∞ | 22:55 | comments(63) | trackbacks(0) |
コメント
編集したということで、久々にこの記事を読ませて頂きました。
私は内くん担当ですが、最近は内くんのことを知っているeighterが減り、内担への逆風も強くなり『もう内博貴のいる関ジャニ∞を待つのをやめなければいけない時がきたのか』と悩んでいました。
しかしこの記事を読ませて頂き、あのどん底の時代から這い上がってきた8人が笑い合っていた日々を思いだし、やっぱり心の中では8人の関ジャニ∞を望んでいこうと考えました。
復帰する可能性はおそらく極めて低いとは思いますが、いつかまた共に笑い合う8人が見れたらなぁ、と思います。
はるかさん、素敵な記事をありがとうございました。
この記事を最近eighterになった人たちにたくさん知ってもらいたいです。
| えれな | 2011/01/11 11:41 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2011/01/12 8:10 AM |
はるかさんのブログに出会って、過去の記事などもいっぱい読ませていただいているのですが、この記事は特に強烈に心に響きました。

明るくて元気で悩み事なんか何もないように見える関ジャニ∞は、
こういう辛い事を乗り越えてきたからこそこうして笑っていられるんですね。
私たちが∞に勇気を貰うのは、彼らが逆境にもまけずに強く生きているからなんですね。

この記事に出会わなければ、私は∞をこんなに好きになれなかったと思います。
∞って本当に本当に素敵なグループだなって心から感じました。
ありがとうございます。
| | 2011/01/12 2:45 PM |

日記は毎日見てコメは
ちょこちょこさせていただいてるかなです(^ω^)

毎回思いますが…文章がとっても上手ですね!∞の力強い言葉のおかげもあると思いますが、電車の中で読んでいて泣きそうになりましたo(^-^)oレコメンレポも毎回書いて下さり聞けない地域に住んでいるのでとっても助かります☆私生活の日記も毎回楽しみにしてます\(^^)/これからも無理せず頑張って下さい(^O^)
| かな | 2011/01/12 4:12 PM |
こんにちは
泣きました!何度読んでも泣きますね
私も病気になって苦しかったけど、エイトの皆も苦しい時があって、それを乗り越えてがんばってきたんだ!
私にとってエイトは生きる希望です
何度エイトに助けてもらったか
はるかさん 素敵な記事をありがとうございます
錦戸君からエイターになったけど、今はエイトみんなが大好きです
涙が出るほど大好きです
| せりなママ | 2011/01/12 6:16 PM |

 はじめまして。毎日見ています。
 私は最近eighterになりました。
 もちろん内くんの事は知ってるし
 8→1信者です。
 
 本当に泣きそうになりました。
 言葉では表せないくらい
 本当に感動しました。

 eighterになってよかった。
 心からそう思いました。

 8→1

| 潮音 | 2011/01/12 6:46 PM |
初めてコメントさせていただきます。1年前カウントダウンレポを探していて、はるかさんのブログに出会いました。ブログ大好きです。ヒストリーも好きです。
ただ二ノ宮さんは二宮さんなんです。そこだけはお願いします。
これからも陰ながら応援しています。
| | 2011/01/12 7:02 PM |
私はファンになって1年しか経っていなくて、はるかさんのこの記事も(追加する前の記事)読んだことがありましたが、内容を忘れていた部分もあったので、関ジャニ∞がどれ程の長い道のり経てここまでやってきたのかをもう一度確認することが出来て本当に嬉しいです。涙が出ました。本当に言葉で表すことなんて出来ない位素晴らしい人たちですね。忘れる部分がない様にまた読み直したいと思います。本当にありがとうございました。
| えりか | 2011/01/12 10:05 PM |
初めてコメントさせていただきます。
すごくわかりやすく、素晴らしい文章で関ジャニ∞ヒストリーを書いてくださってありがとうございます。

私は∞のファンになって1年ほどの初心者eighterですが、
この記事を読んで、さらに∞のことを知ることができ、さらに∞が好きになりました。
そしてずっと応援していきたいと思いました。

本当に本当に素敵な内容をありがとうございます。
これからもブログ拝見させていただきますね。
よろしくお願いします。
| yukka | 2011/01/12 11:10 PM |
この時間に涙ボロボロ流しながら、読ませてもらいました(;_;)

私が関ジャニ∞のファンになったのは、3年程前でした。
その前にどれ程の苦労あったのか、そしてそれを乗り越えたメンバーや、ファンの皆さん。
知っていたつもりでも、改めて実感し、学ぶ事が出来ました!

関ジャニ∞は私にとっても、日常を変えてくれた存在です(^O^)

こんなに素敵な文章を、ありがとうございました!
| めぐみ | 2011/01/13 2:36 AM |

はるかさんこんにちは☆

久しぶりに
この記事を読んで
ホントに感動しました。

わたしははるかさんの
記事を読むまで
周りの意見に流されて
8→1という考え方に
賛同していました。

しかしはるかさんの
記事を読んでからは
内くんと関ジャニ∞の
関係性について
自分でしっかりとした
意見を持つようになりました。

それからやっぱり
はるかさんの文章からは
∞の愛が感じられます!

そんなはるかさんが
書く文章がホントに
大好きです!!

これからも
楽しみにしてますね(^O^)/
| まてぃ | 2011/01/13 7:03 AM |
いろいろ思い出しながら読みました。
東京悲恋ではなく、東亜悲恋だと記憶しています。
ロミジュリの日韓版ですね。
個人的には、横アリで一番泣いていたのは、
タオルの下で隠していた亮ちゃんかな。
それを見せないのも彼らしさ
丸山大倉がそれをみてびっくりしていたので(笑)

私は諦めが悪いので、
8周年には8になることを願っています。
いろんな人がいることはわかっています。
思えば2002年の松竹座、J3KANSAIからは
来年は10年、10年目は8周年ですね
頑張って応援していきたいです。
ヲバエイターは、「真矢みきの「諦めないで」
を信条にしています!」

もっともっと膨らまして
エピソード加筆、お待ちしています
| じゅんぺい | 2011/01/13 11:03 AM |
こんにちは。

涙涙で読ませていただきました。
関ジャニ∞に内がいたことを知らない方や、知ってるけど見たことがないという方が多くなってきた今だからこそいろんな方に読んで欲しいなと思うし、改めて読めてよかったと思います。

内博貴がいた事実、今8人がそれぞれ希望を持って仕事をしていることがそのまま表現されていると思います。


私は内くんのファンで∞も好きです。∞コンサートに行けば誰のファンかを尋ねられ、年々肩身の狭い思いをしていました。
でもはるかさんのこの記事をよんで、いつかのすばるくんのように『このままでいいんだ。だって8人が好きなんだもん。』と、今日も明日も明後日も…場所は違えど8人みんなを応援していこうと思えました。


2006年のあのステージは忘れられませんね。
今でもアンコールの無限大、ロマネの映像が蘇ってきます。
真ん中のステージで天を仰ぎながら佇むすばるくんが特に印象的でした。


たまには振り返るのもいいですね。
はるかさんの文章が素敵で雑誌のライターさんのようです。

| 美心 | 2011/01/13 11:54 AM |
私が始めてはるかサンのブログで読んだ記事が
「関ジャニ∞ヒストリー」でした。←追加前です。
その時はかっこよくて おもしろくて 何でもできて   そういう所しか知らずエイトのことを好きだと言っていました。
でも、はるかサンの記事を読んでエイトのことを全然わかっていなかったんだなぁと恥ずかしい気持ちと
何も知らずに好きだといっていたことに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そして、今日久しぶりにこの記事を読みました。
やっぱり何度読んでも涙が止まりません。
エイトには今以上に売れてもメンバー愛が変わらないでいてほしいです!!!


         エイト大スキ
         eighter大スキ

    ずーーーーーーーーっと ついて行きます

           はるかサン ありがとうございました



| さっくん | 2011/01/13 5:24 PM |
いつ見ても、何度見ても、感動してしまったので、2度目のコメントをさせていただきます。

はるかさんの文章力にはいつも感動させられます。
本当に、身震いするほど心を打たれてしまいます。

わたしは8人だったころの関ジャニ∞を知りません。
でも、これを読んで、関ジャニ∞は8人全員で関ジャニ∞なんだなと思いました。
8→1
この言葉によってすべては語られていますね。

最高で最強の関ジャニ∞
いつまでもいつまでもついて行きたいです。


| | 2011/01/13 8:06 PM |
お久しぶりです!
編集前の記事を号泣しながら読んだことを思い出しました。
はるかさんの記事はもちろん、
たくさんのeighterのコメントに感動しました。
そして久しぶりにこの記事を読みましたが、
やっぱり何回読んでも感動です!
はるかさんの書く文章、ホント素敵ですね!




| みき | 2011/01/13 8:07 PM |
初めまして。去年辺りからひっそりと読んでました。昨年もこの記事を読んで心がほっこりしました。私は亮担ですが隠れ内担で本当にあの事件はわすれられません。その事も書いてあって嬉しいです。多分戻ってくる事は無いけどいつまでも待ってます。

この記事を読む度に本当に関ジャニ∞の凄さを感じます。やっぱずっとついて行きたいと思いました。これからももっと大きくなってこの記事にも素晴らしい続きが書かれていく事を願ってます。


| ほなみ | 2011/01/13 8:20 PM |
はるかさん。
いつも楽しく拝見させていただいてます。

泣けます!どんだけ泣かすんですか!
今ある栄光は苦労あってのことでしたね。
遅咲きだって今ある栄光はエイトがつかんだもの。
Eighterとともにこれからも成長し続けてほしいです。
Bigになるのはちょっとさみしい気もしますが...
まだまだ成長し続けるエイトにさらに釘付けですね!
| ばるとも☆ママ | 2011/01/13 8:57 PM |
はるかさん、こんにちは(^o^)/

また、載せてくれたんですね?ありがとうございます!読ませて頂き、また色々な事を再確認できました!楽しかった2010年が終わって、また次を楽しみにしている、このタイミングでまた再確認できて良かったです☆

はるかさんと一緒で、私も∞に会えて人生が変わりましたね!何となく過ぎていた毎日がキラキラし始めました(≧∇≦)今は毎日が尊くて、楽しく過ごせます!∞パワーって不思議ですね!
| たけこ | 2011/01/13 9:00 PM |
こんばんわ

何度読んでも飽きませんっ(笑)

高1の時からの親友を
eighterにさせちゃったので
その子にも読んでもらったら
その子も
さらに∞にハマりそう
というようなことを言っていました。

私もeighter歴が浅いので
昔の∞をよく知りませんが

でも昔の∞があったからこそ
今の∞があるんだと思います

一度でいいから
8人の関ジャニ∞を
見てみたいです!!

長くなってすいませんっ焦









| Runa☆Luna | 2011/01/13 9:18 PM |
こんにちは。
初めてコメントさせて頂きます。

私は内担なんですが、今まで8人の関ジャニ∞を生で
見た事がありません。
見るのは時が止まっている過去の映像ばかりです。

今でも"内くんがいたら…"とか勝手に想像したりして
コンサート中に切なくなってる自分がいたりします。
それほど大きい存在でした。

でも、今の関ジャニ∞も大好きだし、内くんも大好きです。

これからも、内くんが関ジャニ∞のメンバーだったとゆう
事は消える事はないし、何を言われても内担で居続けます。
そして応援し続けます。

前を向いて、もの凄いスピードでかけていくメンバー
に必死に追いついて行こうと思います!


乱文すみません。
記事を読んで色んな事を思い出してしまい、かなり衝動的
にコメントさせて頂いてます(笑)

素敵な記事をありがとうございました。
ぜひたくさんの方に読んでほしいです*

これからも更新楽しみにしています☆

| rina | 2011/01/13 9:48 PM |
今回は前回より泣きました(笑)
ありがとうございます。これからも更新楽しみにしています。
| あやみ | 2011/01/14 1:59 AM |
 はるかさん、こんにちは。

 実は、私が最初にこのブログにお邪魔したときに読んだのが、この記事の編集前でした。

 私は、デビュー前後のことはよく知らないし、内君の事情も、あまり知りませんでした。
 でも内君とは、エイトとしてではないけれど、違う時にエイトよりもはやく出会いました。 これからもそれぞれのことを、応援していくつもりです。

 話はそれましたが、この記事を読んで、より深くエイトを好きになった時のことや、それより前のことのついて考えることができました。

 はるかさん、ありがとうございました。
| メグ | 2011/01/14 10:54 PM |
はじめまして。
レコメン欠かさず聴いてる母がこのブログに出会ってくれました。
はるかさんの関ジャニ∞の愛情がものすごく伝わりました。
私が関ジャニ∞にはまったのは友達がきっかけです。
しかもCDとかではなく、ウィキさんで〔笑〕もともとシングルCD曲やメンバーが出ている番組は見ていたのですがそんなに関心はありませんでした。
友達が『とにかく読んでみて』といわれ、読むと、
え?ジャニーズなのに何でこんなに苦労してんの?と思う文章ばかりで驚きました。でも、メンバーの熱い思いなども読みそこからアルバム聴いてみようと思ったのがきっかけです。もともとJ−FRIENDSやキンキが大好きでジャニーズ雑誌は見ていたのですばるくんの人気は凄かったのは覚えがあります。タッキーとかとよく表紙飾ってた覚えもあります。だからすばるくんの苦悩の所は読んでいて辛くなりました。∞はシングル曲もいいけど、カップリングやアルバム、ソロ曲もいいですよね。私アルバム聴いて本当に良かったと思いました。はるかさんよりはファン暦浅いですが、これから同じファン同士よろしくお願いします。
ブログ更新最近多くて有難いですが、疲れてる時は絶対に無理しないでください。たまに載せる仕事の愚痴とかみるとあーみんな同じなんだな。とか勝手に共感持ってたりしてました。はるかさんの文章は人を引きつけてくれます。とても丁寧な文章でいつも関心してしまいます。長々と失礼しました。お礼がしたくてコメントしました。これからも楽しみにしています。
| みんみん | 2011/01/14 11:33 PM |

めっちゃ感動しました。


ほんまに、ほんまに


生まれてきてくれて


ありがとう。


エイトに会えてなかったら

うちは今ここにいないから。


ほんまにありがとう。


一生ついていきます。



| 美穂 | 2011/01/15 1:46 AM |

ヒストリー読ませていただきました。

やっぱり何度読んでも感動です。

私も47魂の頃にEighterになったので
昔のことはよくわからないのですが、
はるかさんの記事のおかげで
過去のエイトを知ることができて嬉しいです!

やっぱり関ジャニ∞は最高で最強ですね♪

| なつみ | 2011/01/15 10:18 PM |
はじめまして。
今日この記事を読まさせて頂いて
凄く感動しました。
私は47魂の頃にファンになったもですが
その頃は小学生で、関ジャニ∞のことを
何も知りませんでした。
「どうして∞なのに7人なんやろ?」
とか、思っていました。
私は、∞の明るさや、仲の良さに惹かれてファンになって
いつも明るい∞が大好きでした。
けど、過去のことをだんだん知り、TVではあんなに
みんなを笑わそうと面白い事したり明るくしているのに
過去にこんな苦労や悲しい事があるなんて凄くびっくり
しました。
同時に私も、こと人たちみたいに悲しい事があっても
クヨクヨせず生きていこうと思うことができたし
沢山優しさも教えてもらいました。
凄く8人を尊敬しています。

はるかさんも素敵な記事を書いてくださりありがとうございました。

何が言いたいか分からないようなコメントになってしまってすみません。
これからも更新頑張ってください。
| みっきー | 2011/01/16 7:22 PM |
はじめまして。
これまでも何度かブログを拝見していたのですが、
初めてコメントさせて頂きます。

LIFEからの新規∞erなので、
これまでの∞の足取りはWikipediaで見た程度で、
いかに表層だけをなぞっていたのか…。

当時は内君が抜けたから亮ちゃんが掛け持ちになったんだと思っていたくらいです…。
今思えば恥ずかしい!!

LIFEで感じた上部じゃない『現実感・泥くささ』は、
この道のりがあったからこそだったんですね…。
もっと早く出会いたかったという思いも起きましたが、
きっとこのタイミングが運命だったのでしょう。
何気無く見てたGMに感謝です!

新規という立場がすごく怖くて、
(昔を知らないのはファンじゃないみたいな…)
FCに入るかずっと悩んでたんですが、
こちらを読んで目の前にあった郵便局に飛び込みました(笑)
本当にありがとうございました!!

これからも頑張って下さい!
楽しみにしています!
| | 2011/01/17 4:06 PM |
いつも陰ながら愛読させて頂いています(*^o^*)
今回この記事を読んで、改めて関ジャニ∞が大好きになりました。私が関ジャニ∞のファンになったのは5年程前なので、∞が苦労していた時期の事はあまり知りません。でもこの記事を読まして頂いて、本当に感動したし、∞なら何でも乗り越えられる!と心から思いました。このような記事を書いて頂き、本当にありがとうございます。
| なつき | 2011/01/17 9:45 PM |
初めまして。
今日たまたまこのブログを発見しました。

博貴のこと、まだ小さかった私ですがしっかり覚えています。
約6年前。私はまだ8歳でした。
その頃から7つ上の姉の影響で関ジャニ∞が大好きで。
内博貴が大好きで。
何が起こったかわからなかった私に姉が
「博貴ね。エイトにしばらくいられないって。大人の人に大事なもの取られちゃったの。博貴しばらく見れないの。」
と一言泣きながら言ってきたのを覚えています。
何がなんだかわからなかったけどただ一つ「大事なものを取られた」それだけは、はっきりとわかりました。
だんだん大きくなっていくうちにあの出来事、なにがあってどうなったのかがわかりました。
そのときどこに向けていいかわからない怒りと不安とショックに潰されそうになり、色んなものに心を閉ざしました。

2007年47でのあの景色。忘れたことなんてありません。

博貴が復帰したとき1日泣いて喜びました。
それと同時に博貴はエイトに戻って来るのだろうか、という不安もありました。
そんなとき彼は「グループには戻らない」そう言いました。
そう聞いた時はショックでしたが、博貴もいっぱい考えて出した答えだろうし博貴が決めた道なら応援しようと決めました。

本音言えば戻って来てほしいです。
でも、もう。正直もう本当に彼は戻ってこないんじゃ、と思います。
ただ博貴が少しでもまだほんの少しでもエイトにいたいと思っているなら完全じゃなくてもいい。47みたいに8色の綺麗な虹を見せてください。

なんかだらだらと申し訳ありませんでした!!

これからもブログ頑張ってください!!




| みなみ | 2011/01/18 7:23 PM |
こんにちは!

私も∞が大好きです。
eighterも大好きです。

しかし、最近∞が大きくなるにつれて
マナーが悪くなっていったり、
eighterどうしの仲が悪くなっていっている
ような気がして、もうこれ以上
ファンが増えてほしくないと思っていました。

けど、こんなにも素敵な記事を
書いてくれるeighterさんや、
それに賛同してくれるたくさんのeighterさんが
こんなにたくさんいることに感動しました。
こんな素敵な方たちとeighterという仲間で
いれることがとても嬉しいです。


この記事のおかげで、関ジャニ∞とeighterは
やっぱり最高で最強なんだと
改めて感じることができました。

いつかまたコンサート会場が壊れるほどの
ドでかいエイトコールで会場が一つになるのを
楽しみにしています。

本当にこんなにも素敵な記事を書いて下さり
ありがとうございました。

ブログ運営頑張ってください!!!
応援してます!!


| まこ | 2011/01/20 11:23 PM |
ランキングから飛んできました!
サイドバーかなんかに置いて、いつでも見られるようにしてほしいデス!
これは永久保存ですねぇ素晴らしいです!
06年関風オーラスは本当に神がかっていましたよね。
あんなキレイな涙をみたのは久しぶりでした。
個人的には08年のヨコソロの国際フォーラムに りょうち以外 のメンバーが大集合した公演も神がかってたなぁと思います。
なんだかどんでもないグループを好きになってしまったなぁと思うのですが、それ以上にファンでいられることが誇らしいです。
素敵な記事をありがとうございました。
| かな | 2011/01/22 12:30 PM |

大好きです。『関ジャニ∞』が!!!
ただ仲がいいだけじゃないんですよね〜…
上手く言えないんですけど…。
絆が深すぎて思いやりがありすぎて
∞メンバーもメンバーが大好きでeighterが大好きで。

このブログを見て改めて好きだと思えました。
涙がボロボロ出てきましたけど…(笑)

ありがとうございました。
| まなみ | 2011/01/23 4:43 PM |
すごくすごく良かったです!!

すいません。初めましてなのに・・・。
私は、中学3年生でまだeighter、2年ちょっとです・・。
なのでまだまだ関ジャニ∞の知らない部分があったりします。このヒストリーをすごく時間をかけて読み、やはり沢山の苦労もあり、今の関ジャニ∞があるんだと私も思います。

私の話ですが・・1番最初のコンサートがNEWS、そして
そのコンサートで錦戸くんファンになりました。去年、関ジャニ∞のコンサートに行き、そのコンサートがある前の週、
友達と喧嘩し、落ち込んでいたのですがコンサートで元気を貰いました。ファン同士、手を繋ぎ1つになった瞬間、
こんな良い出会いもあるのだと実感しました。
その子とは、もう口をきいていませんが、もっと沢山の人に出会いたいと思いました。

関ジャニ∞はホントにほんとに

最高で最強の関ジャニ∞ーー

その言葉どうりです。


すみません。ファン暦短いのにえらそう言ってしまって・・。

ヒストリーを見て、ファンの人もファンでなく見た人も
関ジャニ∞はこんなにも素晴らしいグループだと実感出来るとそんな感じです。ありがとうございました。 





| かよ | 2011/01/26 10:44 PM |
泣きそうになりました。
エイトが歩んできた道を、ファンとして、しっかりと、
守り、作っていきたいです
| siori | 2011/02/08 6:11 PM |
すごく感動しました。
eighterだけど
ココには自分の知らない∞がいて
これを読んで今まで以上に
関ジャニ∞を好きになりました。
ほんとうに改めてこのメンバーって
すごいなあって思いました!
8人でがんばってた∞もいいけど
今の∞も心は8人ですねっ

ほんとうに∞が大好きになりました
あぷありがとうございました

レポもよませていただいています
| りさ | 2011/02/26 1:52 PM |
初めまして。
私は、昨年11月の「ベストヒット歌謡祭」という番組で「LIFE」を演奏する関ジャニ∞を見て衝撃をうけ、それ以来エイターの道を地味に歩み始めたので、まだまだエイトについて知らないことだらけの初心者エイターです。

今回、こちらを読ませていただいて、ものすごく感動しました!涙が出てきました。メンバーがいろんな苦労をしていることは聞いていたけれど、本当にいろんなことがあって、今の彼らがいるんですね。メンバー全員からにじみでている何とも言えないあったかさや、優しさは、こんな歴史があったからこそなんだろうな、とあらためて思いました。

エイトのことがますます大好きになったし、エイトに出会えて本当に良かったと思いました。
これからも、こちらのブログ楽しみにしています!
ありがとうございました。


| しろぱら | 2011/05/17 3:47 PM |
はじめまして

私はeighter歴2年ちょっとで、
∞のこと分かったつもりでいました。
そして、内くんの事もぜんぜん分かっていなかったんです。
なんだかそんな自分が恥ずかしくなりました。

読みながら、涙がぽろぽろ出てきて、
∞の良さはこういうところからあるんだなぁと思いました。

∞の事がもっと好きになれました*
ありがとうございます//
| なぴょ | 2011/05/20 9:22 PM |


本当に、本当に、感動しました。
読んでいて涙が止まりませんでした。
関ジャニ∞は本当に色んな苦労や困難を乗り越えてきたグループだと思います。
関ジャニ∞に伝えたい"ありがとう"は本当に多すぎるんですけど...
本当にありがとう。

関ジャニ∞大好きです。

こんな素敵な文章を
書いていただいて、
ありがとうございます。

| ことみ | 2011/05/25 12:46 AM |
始めまして

始めてコメントします。。。
毎日、日記みてます!

この記事には、泣きました。。。
最近、忙しく心が弱っていた私に、はるかさんの記事と
エイトの過去凄く泣けました===

これからも、ちょこちょこ色々な記事に、コメントしていきます!最近、日記あまり書いていないみたいなので、お体に気をつけて、頑張ってください☆★
| みやび | 2011/08/17 6:13 PM |
初めまして。

今月に入ったくらいから記事を読ませていただいてます。
コンレポ(∞のみですが)は1日で全部読み切ってしまいました(笑)
そのくらい丁寧でわかりやすい文章で、尊敬します。

今日この記事を電車に乗っているときに発見して読み始めたんですが一回やめました。
あ、これ絶対泣く。と思って。
帰って一人でゆっくり読ませていただきました。
案の定号泣です。

私は2006年ごろに友達の影響で∞が好きになりました。
ただ、FCに入っていないため、友達から借りたCD、DVD、テレビなどでしか∞を見たことはありません。
受験で∞から離れた時期もありました。
最近になって友達にpuzzle、パッチのCDを借りたくらいです・・・汗
∞の曲はほんとに元気が出ますね!
大好きです。
次のアルバムは買います!
離れてた時間を取り戻すためはるかさんの記事熟読します(笑)

では、長くなりましたが、
お体に気をつけて頑張ってください
また、コメントします

| なつこ | 2011/10/08 11:39 PM |

初めてコメントさせていただきます。


私は47が始まるちょっと前、2007年5月頭くらいに関ジャニ∞に出逢って、そこからだんだんeighterになって行った者です。

eighter歴は(自分としては)だいぶ長くはなってきましたが、エイトの事をまだまだこれっぽっちも知らなくって。

博貴がいたころ(という表現はアレかもしれませんが)のエイトは知りませんが、ネットで色々読んだりしてそれなりに知ってるつもりでした。
それに、博貴のことは陰ながら応援してます。

今回この記事を読ませていただいて、さらにいろいろ知れたのかなーって勝手に思っています。

はるかさんの愛が伝わってくる感じでした(もちろんエイトの絆等々もです)。


正直、私は7人で活動しているエイトしか、きちんとは見たことがなくて。博貴がいるエイトはDVDでだけなんですよね(あとは写真集の写真ぐらいです)。

エイトのことで、私にわかることなんて本当にこれっぽっちにしかすぎなくて、7人の博貴に対する想いなんて全然わからなくて。

今のままでいい、って思う人もいるだろうし、戻ってきてほしいって思う人もいるだろうし。でも、私はどちらでもなくて、どちらがいいのかなんてわからなくて。いや、そもそも政界なんてないのかもしれませんけど。


ただ、ひとつ確かに言えることは、私がeighterなのに変わりはなくて、これから先も関ジャニ∞を全力で応援し続けるって事と、博貴のこともちゃんと心から応援してるよってことです。



なんだかまとまりのない、意味のない文章ですみません……!

| まひろ | 2011/10/10 2:30 AM |
初めまして。
2年前にエイトのファンになりました。でも彼らの過去とか「苦労した」ってぐらいしか認識がなかったんですが、はるかさんの記事を拝読しまして今のエイトの絆を実感しました。
ステキな記事をありがとうございます。
これからも更新心待ちにしておりますので頑張ってください。
| 一匹猫 | 2011/11/03 11:14 PM |
こんにちは

涙がとまりませんでした。私は、2005年からのeighterです。私の知らなかった∞がたくさんありました。苦労してたのは、知っていたんですがここまでのことは知りませんでした。これを読んで∞のことをもっとしれて良かったです。私も8人の∞が好きです。やっぱり∞は8人で関ジャニ∞なんですから、8人の∞が好きです。

8→1

| ゆり | 2012/01/02 3:52 PM |
こんにちわ

1年前にeighterになったばかりの新規eighterです。
偶然このブログを見つけて、この記事を読ませて頂きました。

私の知らない∞がいて、私が知らない間にすっごくつらい思いをしてて、大号泣で、涙が止まりません。
∞に会えてよかった。eighterになれて本当によかったって改めて思いました。

私は∞の笑顔が世界で一番好きです。その笑顔は、∞の努力とeighterさんのとても大きな愛だったんですね。
∞やはるかさんをはじめとするeighterさんに感謝でいっぱいです。それにとても尊敬しています。私もその一員になれるように精いっぱいeighterさんといっしょに∞を応援していきます!! 

長くなってすみません。体に気をつけて、頑張って下さい!
∞×eighter本当に大好きです☆
| なすび | 2012/01/09 1:10 PM |
初コメです☆

いろいろ探してたらこのブログに出会いました。

この記事を読んで涙が全然止まりませんでした。

知らないことだらけでした

私はまだ中2で、エイトがデビューしたころはもちろん小さかったし、内くんのことがあったときも全然知りませんでした。

エイトのことを知れてよかったと心から思いました。

私はまだeighterになって1年半ですが

エイトに出会って人生が変わりました

PCなどでエイトのことを検索すると「eighterです」って言ってるのにエイトへの悪口を書いてる人とかに出会うことがあります。

でもはるかさんに出会えてすごくうれしくなりました

ありがとうございます。



これからも最強で最高の関ジャニ∞応援し続けたいと思います♪






| アキ | 2012/01/10 5:01 PM |
初めてコメントします。

12/29京セラコンに参戦してコンレポを探してはるかさんのブログに出会いました。

娘の影響で関ジャニ∞に出会いそれとなく苦労をしていた事は知っていましたがあらためて記事を読ませていただいたら感激して号泣でした。

NHKの少クラプレミアムでV6の坂本くんや長野くんのに苦労話を聞いてジャニーズのアイドルに対しての見方が変わり40歳を過ぎてジャニーズファンになりました。
どのグループもグループ愛、メンバー愛がありその中でも今、嵐が高感度を得てTVにひっぱりだこですが関ジャニ∞も負けてないですよね。

最近徐々に本人達が望む頂点に上がってきている感がありますが手の届きにくい存在になってしまうのは悲しくもありますね。(まぁ今でも届きませんが)

これからも母親目線でエイトを応援していきたいなとあらためて思いました。はるかさんのブログも応援させてもらいます。更新頑張ってください。

出会えて良かった。
| りつ | 2012/01/17 2:22 PM |
はじめてコメントしますがいつも見させてもらってます^^
私はこのブログを見て関ジャニをもっと好きになりました。
ありがとうございます!
はるかさんの文章すごく好きです。
まだコンサートに1度もいったことがないのですが、
コンレポを見て行ってみたいな〜とすごく思ってます!
大変だと思いますが、更新頑張ってください。
| まほ | 2012/03/12 10:42 PM |

初めまして^^
いつもひそかーにブログを拝見させてもらってました^^;

この文章。ホンマ好きです。
とっても感動しました。涙が止まりません(TOT)
∞もたくさん苦労して、高い壁を乗り越えてきたんだなーと、思うとウチも頑張らなアカンなーとしみじみ感じました^^
あんまり知らなかった内君のコトとか、どうして関ジャニ∞が出来たのか。
この文章で色々なコトを知りました。
はるかさんの1つ1つの文字が、出来事が、たくさんの思い出が、この文章を読んだだけで分かります。
いつも、ウチたちを笑わせてくれたり、泣かせてくれたりする∞にも辛い過去がある。
笑顔が出来る人は、色々なコトを乗り越えてきた人。
またコメントさせていただきますね^^

長くなりますが、ウチは最近YOU&J(関ジャニ∞)のファンクラブに入りました。
∞のに入る前は、嵐のFCしか入っていませんでした。
でも、今思いました。
∞のFCに入って良かった。
こんなに、素敵なグループのコンサートに行けるなら嬉しい。
と。

ウチはいつまでも、応援しようと思います。
最後にー、
長くなってすいません。
1つだけ行っておきますね^^

関ジャニ∞に会えて良かった。
| 春゛ | 2012/03/26 5:05 PM |

またまたコメントすいません><

ウチもブログやってるんですけど、ソコにはるかさんのブログのURL貼ってもいいですか?
イヤだったら断ってくださって結構です。
↑にも書いていますが、とても感動したので多くのエイターに知ってほしいと思いました。
では、宜しくお願いします。
| 春゛ | 2012/03/28 3:46 PM |
春゛さんへ
はじめまして。とりいそぎ、リンクの件をお答えしますね。
サイト名を記載していただいた上でリンクを貼っていただければ、URL掲載は問題ありません。
よろしくお願いします。
| はるか | 2012/03/29 10:34 PM |

はるかさんへ→
分かりました^^
ありがとうございます。
| 春゛ | 2012/03/30 10:50 PM |
コメさせていただくのは2回目です^^♪
私はファン暦は浅く、「無責任ヒーロー」からえいとが好きになりました。
私はこの文章を読むまで、えいとのことを裏切った内くんのことが大嫌いでした。
なぜ内くんに戻ってきてほしい人がいるのか、正直さっぱり分かりませんでした。
ついでに言うと亮ちゃんも大嫌いでした。
二人して先にデビューしたことがまず許せませんでした。
でも、こんな私の偏見がなくなりました。
今でも内くんの魅力は顔がいい以外には何も知りませんが、これからちょっと調べていきたいと思います。
すばるくんのジュニア時代の苦労や大倉くんのえいと入りのきっかけなどは知っていましたが、
すばるくんは、共演した、しかも後輩であるニノが先にデビューしまったことも、本当につらかっただろうなと思います。
私は学校などでえいとが好きだと話すと「え〜っありえなぁい!」とよく言われます。
ましてや担当&#8226;副担当が亮ちゃんや大倉くんやヨコではな<やすとすばるくんだと言うと、ひどい人には悪意たっぷりに「誰それ?」などと言われます。
だから自分がそう言われて傷つ<のが怖くて、親しい人にしかえいとが好きだと言えませんでした。
でもこれからこの記事のおかげで胸を張って好きだと言えます!
えいとの下積み経験の多さ、絆の深さ、内くんについての情報が、たしかなものになったからです!
You&Jに入っていなくても、、、私はえいとを愛してます!えいとのどん底から這い上がってきたその強さ、えいとの出来ることの多さに尊敬しています!
えいとの他に7WESTという関西ジュニアを応援しているのですが、えいとのように強くなっていってほしいと思います。

長文失礼いたしました汗。
はるかさん、いい記事ありがとうございました!!
| とっぽ | 2012/04/03 9:13 PM |


  はじめまして。
  はじめてコメントさせてもらいます。
  これを見て本当に感動しました。
  今までエイトの苦労を分かった気でいた自分が
  恥ずかしくなりました。

  eighterのマナーが問題になっている今、
  よかったらリンクしたいのですがよろしいでしょうか。
  だめならだめって言ってくれて
  全然かまいません

| ひとみ | 2012/05/30 1:06 PM |
何回読んでも泣けますね。
まだeighter歴一年で、過去のことなんて
何も知りませんでした。
けど・・・彼らが歩んで来た道、知ることができて
よかったです。

この記事を読んで、
関ジャニ∞のファンでよかった。
eighterでよかった。
と、心からそう思いました。
| ∞momo∞ | 2012/06/01 11:11 PM |
検索したら辿り着いたのでコメントさせて頂きます。ただのひとりごとだと思ってください。

関ジャニ∞にいる内博貴が大好きで内博貴がいる関ジャニ∞が大好きでこの7年間いつかもう一度見たいと願い続けて来ました。
でも7人が当たり前になり、もう「待ってる」なんて言えない時が来るようになりました。
内自身も戻って来ることを願っていないと聞き、どうしたらいいのか分からなくなりました。
CM、ゴールデンの冠番組、映画…ただただ、エイトがでかくなりすぎた。としか言えません。昔を知ってるからこそ応援したい。だけど一人足りない。必然的にエイトを避けるようになりました。知らない曲が増えたなあとしみじみ感じてます。
前に立って引っ張っている内よりもお兄ちゃん達のトークに大口開けて笑ってる内が見たいなあと思います。

この記事を読んで「ああ、待っててもいいんだ」と少しだけ思えるようになりました。ありがとうございます。

ただ、もう一度錦戸亮の思わず「気持ちわる!」ってなるあのデレデレ顔が見たいにつきます。
| ただの内ヲタ | 2012/06/06 12:53 PM |
何年も経ちますが、この文章を見て、
私めっちゃ泣きました。
日本語でうまく言えないんですが、
エイト本当に間違いないです。
彼たちの絆、最高です。
長く歩きましょう。
ありがとうございます。
| マカオエイター | 2012/10/04 11:42 PM |
違うワードで検索して、たまたま見つけて…
見つけれて良かったです。
私はKYO TO KYOの頃からずっと関ジャニ…関西Jr.を見てきたので
「そうそう、こんな事もあったな」と思い出しながら読んでいました。
途中、涙で画面が見づらくなる事もありました。胸が苦しくなりました。

ずっと歯を食いしばって耐えて頑張ってきた彼らを好きなのを改めて感じました。
ヒストリーを書いてくださってありがとうございます。
| PEN | 2012/11/13 11:26 PM |
はじめまして!

ラジオレポではるかさんのブログにたどり着き、一気に拝見させていただきました。

私がエイトを好きになったのは2007の47都道府県前で、内くんがいたころの、8人だったエイトを応援することはできませんでした。

はるかさんの記事を読ませていただいて、あらためて内くんの存在の大きさを感じましたし、エイトの絆の深さ、人間としての暖かさを実感させられました。
内くんをスマスマで見たころだったので、偶然とはいえこんな風にあらためて知ることができてうれしかったです。

これからも更新楽しみにしています!
| yaya | 2013/05/08 4:52 PM |
初めまして。
今日初めて拝見させていただきました。

私は西のすばる時代からすばるくん一筋、常にすばるくん中心に応援してきたので、本当に懐かしくなりながら読ませていただきました。

冬の時代こそ一番力を入れて応援していたのですが、関ジャニ∞を長く応援している人でもANOTHERからとか、デビュー時からとかの人が多かったので、冬の時代をここまで覚えていてくれる方がいて嬉しかったです。
冬の時代を知ってくれてる人はいないと思っていたので…。
エイターさんは関ジャニ∞は苦労したって何となくご存知だと思うのですが、応援してるファンも苦労したってことまで気づいてる人は少ないと思います。

このブログを拝見して、当時を思い出しました。涙が止まりませんでした。
本当に忠実に書いてくださったことを感謝します。
| 原西スミス | 2013/05/11 9:50 AM |
この記事初めて読まさせて頂きました。
改めて忘れてはいけないこと・そして内くんの存在。
エイトの絆を感じます。
本当に最高で最強の関ジャニ∞だと思います。
| 紅璃 | 2013/05/11 11:47 AM |
はるかさん、初めまして。
先にエピソード集の方読ませて頂いたのですが、こちらの方にコメントさせて頂きます。

私は現在高1で、eighterになったのは中1のとき。
なんだかんだで4年目に入ろうとしています。
私はエイトのJr時代や内くんがいた時代は知りません。
内くんのこと知りたかったのですが、今でもそういうことに敏感は方が大勢いてその時から、それ以前からのファンで辛い思いをした方もたくさんいます。
なのでネットで聞けませんでした。

もちろん、ここに載っていることが全てではないはずです。
でも、いわゆる冬の時代の話や内くんがいた頃の話を少しでも知ることが出来てよかったです。
eighterなのでエイトが好きという気持ちは元々ありますが、さらに好きになったし、いい意味で見方が変わった気がします。

この記事を読んでる時、エイトの言葉がスッと入って来ました。
今、私の中で辛い時期でそれぞれの言葉が響きました。

過去を知らないeighterに教えて下さってありがとうございます。
これからもエイトについて行こうって思いました。
| | 2013/06/26 10:02 PM |
何年も前の記事へのコメント失礼します。
内担だったわけではありませんが…関ジャニ∞は8色だと思い続けてます。
もう、今後色が混ざり合うことがなくとも覚えてる人達だけでも8色であり続けてほしい。わたしはずっとそう思ってました。
もはや、関ジャニも昔より大きくなり内くんがいた事さえも知らない方が増えてしまっています
内くんがいた事を知って欲しいとは思ってませんがいた事を否定しないでほしい
あの事がきっかけでジャニ卒した友人もいました。自身も関ジャニから正直離れていました。7人のエイトをエイトとなかなか受け入れられなかったのに彼らは進んでる。
その差もあったのかも知れません
7人の無限大、Agreeを聞くのがつらかったけれど記事を読ませてもらいわたしも7人のエイトをちゃんと見ようと思えました
泣きながら聞いた無限大と泣きながら見た記事
とても、素晴らしかったです
| ちい | 2017/12/12 2:43 AM |
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